2013.06.08 Saturday

 大好評不定期連載中の氷川丸、11回目は操舵室を出て機関室へ向かいます。



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豪華過ぎない貨客船であるところが余計にムーディーでたまらないところです。





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右の薄暗い通路・・。

2等になると通路も一層・・。

ムーディー過ぎて怖いくらいですw





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鉄道で言えば蒸気機関車全盛の時(昭和5年製造)、そんな時代の船の機関部。

全てがフルに稼働していたら振動、音、熱・・、ものすごいことになりそうです。





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操舵室にもあったエンジン出力器。

木のレバーが付いてます。

操作はこの機関室でして操舵室は表示がされるだけかもしれません。





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巨大としか言いようのないシリンダー。

こんなのがガコンガコン動いてスクリューを回すわけですか。

船はスケールが大きいです。





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バルブを回すと蒸気がぶしゅーーと出て辺り一面真っ白・・、的な風景が想像できます。

汚れたTシャツ、汗だくの男、軍手、怒鳴り声・・。

映画のワンシーンのような激しい場面が想像できます。





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喫水線。

立っている場所は水面下ということになります。





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生々しいシリンダー。

氷川丸は退役の時に動力を伝えるシャフトとスクリューを外されているそうです。

「いかなる時も船として使用されることのないように」

という理由です。

やはり船というのはたくさんの人も運べますし、大きなものも運べますし、ということでしょうか。

ちょっと「軍事」的なことが見え隠れしているような気がして意味深です。





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実際氷川丸は戦時中にダークなエピソードがあります。

次回はその辺りなどにも触れてみたいと思います。
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Category : [特集]日本郵船氷川丸


2013.06.16 Sunday

大好評不定期連載を続けてきました特集氷川丸ですが今回が最終回となります。

長きにわたりご覧頂いてありがとうございました。

最終回は展示されていた備品と共に氷川丸は戦時中をどう過ごしてきたかなどを書いていこうと思います。

私が氷川丸を見たいと思ったきっかけのドラマ「Japanese Americans」のワンシーン、第二次世界大戦開戦直前にシアトルから日本へ渡る最後の便の場面も出てきます。




Japanese Americansより

時代は風雲急を告げる。
アジアの英領と仏領、オランダ領に侵攻する日本軍への報復措置として、アメリカ政府が日本の財産を凍結。
日本の軍事攻勢を警戒するアメリカが日本への締め付けを強化するなか、日本へ引き上げる日本商社や日系人が出てきた。
そしてほどなく、領事館に勤めるしのぶの父にも帰国命令が伝えられる。
一郎は、しのぶの幸せを考えると、日本へ帰るしかないということを悟っていた…。


一方、平松家では、長吉がしづとさちを一時的に日本の親戚に預けようと提案していた。
差別の激しいアメリカで女の子が暮らすのは心配だという長吉に対して、親元を離れて見ず知らずの親戚と暮らすのはかわいそうだと、ともは涙を流す。
次郎は日本に妹たちを返すのを反対するが、一郎はしづがアメリカ人に暴行されそうになったことを次郎に言って聞かせる。
自分達だけが日本へ帰されることに、不安と悲しみを抱えるしづとさち。
ともはそんな二人をやりきれない想いで見ることしかできなかった。
それからほどなく、二人の帰国準備も整い、シアトルの港からしづとさちを乗せた船が日本へと出港した。
その船には、しのぶも乗船していた…。


翌朝、平松農場の牛舎に一郎がやってくると、そこには帰国したはずのしのぶの姿が!
日本への船に乗る前、一郎から「プロポーズをするつもりだった」という告白を受けたしのぶは、すでにアメリカに残る決心をしていたのだった。
出港した船から一郎のため海へ飛び込んだしのぶを、一郎はなにがあっても一生守っていくと力強く心に誓う。





最終回にディープな話になりますが氷川丸の歴史上避けて通れない箇所なのでご了承ください。



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戦争への坂道

昭和16年7月25日、アメリカは在米日本資産の凍結を宣言。
日本商船も米国入港と同時に抑留される危険が発生し、26日、政府は航行中の全船に帰航を命じました。
この命令で、シアトルに居た平安丸は空船のまま急遽帰国、龍田丸は準備不十分のまま航海した為食中毒を発生、同じく浅間丸は日付変更線を10回も跨いだ為、航海記録が非常にややこしい事になるなど各船で混乱が生じしましたが、氷川丸は7月20日に第73次航海を終了し大阪湾に居た為、特に問題は生じず、第74次航海(8月9日発航予定)は絶望となったのでそのまま国内で待機となりました。
昭和16年10月23日、氷川丸は再びシアトルに向かいます。
今回はシアトル航路の客船では無く、政府徴傭の引揚船として日本郵船所有を示す二引のファンネルマークも消されての航海でした。
氷川丸の姉妹船も陸海軍に徴傭されるか船舶運営会の管理下におかれ、氷川丸らごく一部を除き再び日本郵船に戻される事はありませんでした。
368名の引揚邦人を無事に輸送した氷川丸は続いて海軍に徴傭され、特設病院船に改装される事になりました。






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特設病院船氷川丸

昭和16年12月1日に着工、12月21日に竣工しました。
白一色で塗装され船腹に緑のライン、船体の真ん中と煙突に赤十字が取り付けられイメージが一変したそうですが、後に「白鳥のような氷川丸」と称されました。
仕切りを取り払った客室や船倉に畳みを敷き病室にし、一等客室・公室やツーリスト客室・公室は各執務室や士官室となりました。







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太平洋を東へ西へ

昭和16年12月23日、第四艦隊に編入された特設病院船氷川丸はルオットを目指して横浜を出港します。
ルオットでウェーク島攻略戦で負傷した患者を収容した後はクェゼリン、タロワを経て内地へ、さらに休む間もなくパラオ、ラバウル、内地に帰って今度はニューギニア、次はソロモン、トラックと休む間もなく太平洋を駆け巡りました。





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悪意の海

連合軍は戦時国際法を尊守し、「滅多に」病院船を攻撃しませんでしたが、犠牲になった病院船が皆無というわけでもなく、また、航空機や潜水艦には赤十字のイルミネーションが見えますが、機雷の爆発は無差別なので病院船といえど危険は常につきまとっていました。
開戦初頭にはるぴん丸が潜水艦により撃沈され、昭和18年11月にはぶえのすあいれす丸も爆撃により沈没。
さらに、昭和20年4月には病院船より安全が保証されているはずの交換船阿波丸が潜水艦の雷撃により沈没するという悲劇が生じています。





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奇跡の幸運船

氷川丸が直接攻撃されたのは、昭和20年2月にコレヒドールで機銃掃射を受けた1度きりですが、触雷は3回も経験しています。
1回目は昭和18年10月3日にスラバヤ港外で船尾に触雷。
外板のリベットが緩んだぐらいでほとんど損傷はありませんでした。
2回目は昭和19年7月15日、カロリン諸島のルットール水道で船首に2発触雷。
船座が損傷し、1・2番船倉が浸水するも自力で脱出に成功しました。
3回目は昭和20年2月14日、シンガポール港外で船尾に触雷。
12番船倉が浸水しましたが、これまた無事に脱出しました。
戦艦をも1撃で海の藻屑にしてしまう機雷に3度も触れながら、3度とも事無きを得、外航商船としてほとんど唯一の生き残りとなった氷川丸は、まさに「幸運船」の名にふさわしいといえるでしょう。





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白鳥の水面下

病院船で物資を輸送するのはルール違反でしたが、このルールはとかく破られやすいものだったらしく、日本軍はかなり積極的に病院船で戦時禁制品を輸送していますし(ぶえのすあいれす丸などの病院船襲撃の理由にされている)、連合軍も開戦初頭にオランダの病院船オルテンプールが戦闘員が輸送したのがばれて日本軍に捕獲されています。
氷川丸は露骨な戦時物資輸送は行いませんでしたが、それでも健常者を病人に仕立てて送還するとか、重油を積めるだけつんで帰ってきて他の船や部隊に供給するといった事は行われてたようです。
また、外地で砂糖などを搭載し、内地の部隊に売りさばいて病院費の足しにするというような事も行われていたようで、「純白の白鳥のような病院船」も水面下ではかなりいろいろとあったようです。






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引揚病院船

昭和20年8月15日、日本は無条件降伏し第二次世界大戦は終結しました。
敗戦により在外邦人628万人の「引揚」と在日外国人125万人の「送出」が行われることになり、10月には南太平洋艦隊日本船舶管理部(スカジャップ)が設立され、氷川丸もその管理下に入りました。
氷川丸は大型で病院施設もある事から、特に緊急を要する地に送られる事となり、ミレ、ウェーキ、クサイ、ウエワク、ファロウ、ラバウル、ジャワ、ニューギニア、上海などから将兵を内地に送還しました。
昭和21年8月15日付けで第二復員省(元海軍省)から船舶運営会に移籍され、今度は博多を基地に満州方面からの引揚邦人の輸送につくことになり、海軍の乗員は全員下船し、日本郵船と日赤の手で運航される事になりました。







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病院船時代の氷川丸





定期航路復帰

昭和25年4月1日、戦前・戦中・戦後を通じ船舶の一元管理を行っていた船舶運営会が解散、氷川丸も日本郵船に復帰しました。
昭和27年2月、欧州定期航路が解禁となり氷川丸も欧州航路に配船され定期貨客船に復帰。
昭和28年7月にはシアトル航路の定期貨客船に復帰しました。
しかし船齢が30歳を超える頃になると、さすがの氷川丸も寄る年波には勝てず、エンジン故障や船体の疲労が目立つようになってきます。
日本郵船はついに氷川丸の引退、シアトル航路および全客船業務からの撤収を決意します。





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復帰した氷川丸



引退

昭和35年8月27日横浜出港の復帰第60次航海が氷川丸最後の航海になりました。
昭和35年10月3日、最終目的地の神戸港に入港。
太平洋を238回横断し、2万5千人の乗客を運んだ氷川丸の旅は終わりました。





 




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当時の時刻表


EAST BOUND 東行き


復帰第36次航海を見てみると1956年(昭和31年)12月19日午後3時に神戸を出航、名古屋に12月20日、清水に12月21日、そしてその日のうちに横浜に入港して翌22日午後3時にシアトルへ向け出航、13日間の航海を経て1957年(昭和32年)1月3日にシアトルに入港、翌4日に最終目的地バンクーバへ向けて出航、1月5日にバンクーバー着となっています。



※引用 〜氷川丸70年の航跡〜






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激動の時代をくぐり抜けてきた氷川丸は今日も穏やかに係留されています。





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船一隻の歴史を振り返るだけでも今日の平和が見えてきますね。





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大切なことを教えてくれたような気がします。





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ありがとう、そしておつかれさま。

氷川丸の歴史を詳しく知り、そして改めてその姿を見るとぐっとくるものがありました。





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こちらも生き証人と言えるホテルNEW GRAND。

こちらはこちらでまた別のストーリーがあるのでしょう。

氷川丸の真正面にあります。





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マリンタワーも係留された氷川丸を優しく見守っている・・、そんな気さえしてきます。





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この日は山下公園でインドフェスティバルが催されていました。(中央に写るインドの紙幣のようなインド人は偶然です。)





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ナマステー。

いい空でした。






ありがとうございました。



それでは最後に・・。



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氷川丸のようにどんな荒波も乗り越えて行けますように。





完 (1話〜12話全編
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Category : [特集]日本郵船氷川丸


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